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「日本生命保険相互会社」は、テレビCMなどで広く知られており「NISSAY」の愛称で親しまれている生命保険会社です。日本国内の生命保険会社のなかでは第2位の規模を誇る大企業。今回は、そんな誰もが知る日本生命保険相互会社について詳しくご紹介します。

小山内 ヤスシと小山内 クミ
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日本生命相互会社の概要

日本生命相互会社の概要

日本生命保険相互会社」は、「NISSAY」の愛称で親しまれ、テレビCMなどで広く知られる生命保険会社です。

日本国内の生命保険会社のなかでは、かんぽ生命に続いて第2位の規模を誇る大企業。そんな輝かしい業績を誇る日本生命の歴史は、1889年(明治22年)7月に大阪の地からはじまりました。2019年(令和元年)に創業130年を迎えた日本生命保険相互会社は、新たな販売手法を模索しながら「お客様本位」の理念を掲げて様々な事業展開を行ない、邁進中です。

今回は、そんな誰もが知る日本生命保険相互会社について詳しくご紹介します。

創業から守り続けている「共存共栄」「相互扶助」の精神

創業から守り続けている「共存共栄」「相互扶助」の精神

1889年(明治22年)7月に「有限責任日本生命保険会社」として創業した日本生命保険相互会社は、人々の暮らしのため、顧客本位の業務運営を行なってきました。

日本生命保険相互会社は、剰余金を割戻す仕組みである「契約者配当」を日本で初めて行なった保険会社でもあります。1988年(昭和63年)「新しくあろう」「発信・提案していこう」を企業姿勢として、コーポレートマークを現在の「NISSAY」へと切り替えました。

ここでは、日本生命保険相互会社の創業から現在に至るまでの歴史を紹介する他、経営姿勢や事業活動についてもご紹介します。

日本生命の歴史の始まり

日本生命相互会社の歴史は、滋賀県彦根市出身の銀行家である「弘世助三郎」(ひろせすけさぶろう)が「相互扶助の仕組み」に深く関心を示したことからはじまります。

相互扶助とは「多くの人が出し合って積み立てたお金を、万一や病気や災害などで困ったときに充てる」という助け合いの仕組みです。弘世助三郎は、相互扶助を「社会で使える仕組み」にしたいと考え、関西の実業家に呼びかけました。実業家の賛同を得た弘世助三郎は、1889年(明治22年)、大阪で有限責任日本生命保険会社を設立します。

しかし、実際に営業を開始したのは、それから2ヵ月半後の9月20日のことです。営業の開始が遅れたのは、保険料を決める際に重要な「保険料表」の準備不足が理由でした。当初利用する予定だった欧米の死亡統計は科学的根拠に乏しく、創業から堅実な経営を目指していた経営陣は「根拠のある保険料表が手に入るまで保険販売はしない」と営業を延期したのです。

保険料表の問題については、東京帝国大学(現在の東京大学)教授の「藤澤利喜太郎」(ふじさわりきたろう)の協力で解決し、無事に営業開始を迎えました。藤澤利喜太郎はこの協力に「会社の利益が予定よりも大きかった場合、利益を契約者へ配当として還元する」という条件を出しましたが、この「配当」手続きは日本初であり、画期的だったのです。

その後、明確なデータで作られた保険料表をもとに保険商品の販売が始まります。

生命保険の普及と困難の壁

開業当時、日本では生命保険の仕組みが理解されておらず、2代目社長となった「片岡直温」(かたおかなおはる)が職員を引き連れて保険商品の販売に全国を奔走します。保険を広めたい一心で各地を回り続けた情熱的な様子は「馬車馬主義」と呼ばれるほど。この活動と堅実な経営のおかげで経営が軌道に乗った開業3年後の1892年(明治25年)には、保有契約高500万円を達成し、開業式と祝賀会を合同で行ないました。

有限責任日本生命保険会社では、戦争や感染症の流行によって保険金支払い増加が懸念された時期もあります。戦争で亡くなった場合、約款では保険金を削減し支払うとありますが、有限責任日本生命保険会社は「お客様のため」と全額支払っていたのです。1920年(大正9年)に流行したスペイン風邪(現在のインフルエンザ)では、日本の死者数が39万人まで上昇しました。保険金支払い件数が増えたのは言うまでもありません。

しかし、有限責任日本生命保険会社では独自の保険料表や堅実な経営のおかげで、保険金支払いが危うくなることはなかったのです。大正から昭和期は保険業界の競争が高まり、新規契約数に伸び悩むこともありました。また、1927年(昭和2年)の昭和金融恐慌では多くの金融機関が倒産します。有限責任日本生命保険会社も経営に多大な影響を受けました。

そのような状況のなかで当時社長だった弘世助三郎は、会社が発展するためには職員の力が不可欠であると激励し続けます。職員一丸となって業務に邁進した結果、1929年(昭和4年)には大正時代末の契約件数を2倍も上回ることができたのです。

終戦後の再出発で「日本生命保険相互会社」が誕生

有限責任日本生命保険会社は、新しく日本生命保険相互会社として、終戦後の1947年(昭和22年)に生まれ変わりました。このとき「相互会社」にこだわったのは、剰余金を契約者に還元できるからです。創業以来引き継がれている「契約者の利益を優先し、最後まで保障責任を持つ」という思いが込められています。

創業から地域発展に向けた活動をしてきた日本生命保険相互会社は、金融業として経済活性化へ貢献してきました。1949年(昭和24年)には「日生エンゼル号」という医療相談ができる診察車を導入。日生エンゼル号は各地で評判となり、2号車、3号車と数を増やしていきました。地方で災害が起こった際もすぐに駆けつけ、救助支援も行なっていたのです。生命保険は生活にかかわる公共性の高い事業であり、日本生命保険相互会社も公益性の高い分野へ投融資をしていました。なかでも住民の利用頻度が高いバスは、九州地区を皮切りに全国へ融資を拡大。同時に鉄鋼業、建設、公団住宅への投融資を行なって経済を下支えしました。

経済活動が活発になってきた1955年(昭和30年)以降、日本生命保険相互会社は時代の変化に合わせて新しい保険を開発します。「暮しの保険」は、契約者の家族状況や需要にあわせて内容を組める今までにない保険であり、販売から20年以上、主力商品として日本生命の業績に貢献し続けたほどです。この頃から保険は、代理店販売から営業職員による対面販売へと手法が変わってきました。

経済・金融危機に負けない堅実経営

日本では1996年(平成8年)に56年ぶりの保険業法改正が行なわれ、子会社の生命保険・損害保険参入といった規制緩和、保険事業の自由化と契約者の利便性向上が図られました。しかしこの改正によって保険会社の競争は激化し、厳しい競争に敗れて経営破綻した会社もあったのです。

日本生命保険相互会社は健全な経営を続けるため、法改正によって認められた「基金」募集をし、リスク回避をしています。お客様の声を大切にする日本生命保険相互会社ですが、2006年(平成18年)の保険金支払い問題では予想以上の要望を受け、顧客の求める水準が高いことを痛感することとなりました。これをきっかけに日本生命保険相互会社は、サービス見直しに対して強固に取り組んでいきます。まずは、顧客に保険金支払い事由を説明して回り、請求漏れがないか確認しました。

2008年(平成20年)に開発されたのが新しい主力商品となる「みらいサポート」です。みらいサポートは顧客の声から生まれた商品で、入院・手術などを保証する6つのオプション契約をひとつにまとめるとともに、公的医療保険制度と手術保障を連動させた医療保険。この連動により給付対象が分かりやすくなり、手術の対象範囲も拡大しました。

さらに2012年(平成24年)には、保障ごとに単品契約できる「みらいのカタチ」を販売。このように顧客の要望に応える商品開発をしているのです。日本生命保険相互会社は、顧客ニーズを汲み取り、学び、サービスへ反映させる経営を続けています。

日本生命保険相互会社のお客様本位の姿勢

日本生命保険相互会社のお客様本位の姿勢

日本生命保険相互会社は創業以来、相互扶助の精神によって顧客に対し確実な保険金、給付金の支払いを約束しています。安定した人々の暮らしを守るため「お客様本位の姿勢」に基づいた業務運営を行なってきました。

年1回実施している「お客様満足度調査」では、手続き方法や営業職員の対応、会社の信頼感などについてアンケートを実施しています。2019年(令和元年)度のお客様満足度は、90.9%となっており、日本生命に対する信頼度の高さが伺える結果となりました。

ここでは、日本生命保険相互会社の顧客に対する取り組みや、苦情の件数や資産運用について解説していきます。

保険金を確実に支払うという想い

保険会社の役割は「お客様への保障提供と、万一の際に保険金を支払う」ことです。そのため日本生命保険相互会社では、いかなる場合でも確実な支払いができるよう自己資本を整えています。この自己資本は、未曾有の災害や経済環境の悪化で資金繰りが厳しいときに備えて積み立てられている資本です。日本生命保険相互会社は、かつて戦争のときも保険金を全額支払った実績があります。

2019年(令和元年)保険会社の支払い能力を表す格付けでは「AA」を獲得しており、保険金支払いの確実性が極めて高いと評価されました。また、想定外の保険金支払いに対して自己資本がどれくらいあるかを示すソルベンシーマージン比率では、2018年度に997.3%となり、十分な支払い余力があると判断されています。

お客様の声白書と苦情の件数を公開中

日本生命保険相互会社では、顧客の声に耳を傾け、日々変化している社会に合わせたサービスを提供するため「お客様の声白書」を発行しています。

「お客様の声白書」発行の目的は、どのようにサービスを改善したかについて、日本生命保険相互会社の取り組みを顧客に紹介することです。日本生命の支社、ニッセイ・ライフプラザ、コールセンターなどで受けた顧客の声を本店や東京本部へ報告し、サービス向上に繋げています。

また日本生命保険相互会社では、顧客から寄せられた苦情件数をホームページ上で公開しています。2020年度第1四半期の件数は9,210件で、これは保険加入前からアフターフォロー、各種手続き、職員の態度など様々な種類の苦情を合計した数です。最新の苦情を公開する潔さにも、堅実で誠実な経営姿勢が感じられます。

日本生命の資産運用の取り組み

日本生命保険相互会社では、契約者により多くの配当や万一の経済保障をできるよう、日本円を中心とした資産運用を行なっています。

運用は資産を維持するため安全性の高い公社債などを中心に行なっており、バランスを見ながら外国証券などへ分散投資。投資資金は契約者から支払われた保険料がもとになるため、安全性と公共性を考慮しています。

日本生命の2019年(令和元年)度末における資産は67兆8,687億円で、そのうち投資先は公社債36.3%、外国証券30.2%、株式11.6%でした。他にも長期的な運用収益を確保するため、成長が著しい市場への投資にも注力しています。

そもそも生命保険事業は社会性・公共性が高い事業。日本生命は資金力を活かし、地域社会の経済を下支えする取り組みも積極的に行なっています。大企業だけでなく産業の発展につながる融資取引を行なうなど、地域経済に貢献しているのです。

現在の日本生命保険相互会社

現在の日本生命保険相互会社

日本生命保険相互会社は、創業当時から顧客の声を真摯に受け止め、役員・全職員一丸となってサービス向上へと繋げてきました。

ここでは、日本生命保険相互会社の企業情報企業理念をはじめ、具体的な事業内容について解説していきます。

日本生命保険相互会社の企業概要

日本生命保険相互会社は1889年(明治22年)7月4日に有限責任日本生命保険会として創立し、1947年(昭和22年)に日本生命保険相互会社へと名称が変わりました。

2018年(平成30年)、「清水博」氏が社長に就任。大阪府大阪市中央区今橋3-5-12に本店があります。事業所は2018年3月末現在で支社108、営業部1,536、海外事務所4。その他、代理店数は16,536となっており、規模の大きさに日本生命保険相互会社の歴史の深さを感じることができるでしょう。

また、日本生命保険相互会社は「契約者の利益を追求する」ことを優先した経営を行なっています。日本生命が相互会社にこだわるのは、株式会社のように株主を考慮せず、剰余金を契約者へ分配できることが理由。株式会社よりも自由度が低い資金調達に関しては、基金を証券化して資金充実に繋げています。

日本生命保険相互会社の経営方針・企業理念

日本生命保険相互会社は、顧客の声に耳を傾けるという経営方針のもと、安心・安定して保障を提供できるよう、堅実な経営を続けています。

日頃の保険募集では、顧客の声をもとに時代に合わせた保険商品の開発や、サービス内容の見直しを継続。また、万一の経済的保障をきちんと行なえるよう、適正な資産運用を行ない、充実した資産を保っています。

日本生命保険相互会社では、生命保険事業が共存共栄、相互扶助の精神に基づいていることから、地域経済の支援に努めています。高度経済成長期に第1次産業へ投融資したことをきっかけに、経済情勢に合わせながら融資先を変えるなどして、人々の福利増進へ取り組んできました。

また、日本生命保険相互会社は、事業の繁栄には「」が何よりも大切であるとしています。1927年(昭和2年)金融恐慌の際は危機を乗り越えるため、職員が団結して新規契約数を2倍に伸ばしました。それからも会社の発展に重要な「人」の成長を促すため、従業員育成を命題として掲げ、業界の発展に貢献し続けています。

日本生命保険相互会社の事業内容

主に生命保険事業をとした業務を行なう日本生命保険相互会社は、生命保険事業に付随する業務も合わせて展開。営業職員やニッセイ・ライフプラザでの生命保険募集・引き受けを中心に、資産運用、金融業の代行・運営管理、債務保証、投資信託の販売など、業務内容は多岐にわたっているのです。

また、日本生命保険相互会社は、関連子会社として保険事業18社、資産運用事業48社、総務関連事業10社など、多くのグループ会社をかかえています。

まとめ

今回は、日本生命保険相互会社の誕生から日本を代表する保険会社になるまで、どのような成長を遂げてきたか、背景や企業理念などを合わせてご紹介しました。

2019年(令和元年)7月4日に創業130年を迎えた日本生命保険相互会社は、顧客第一主義を貫き「安心の提供と経済的保障」という理念を脈々と受け継いでいます。この理念を守り続けるため、日本生命保険相互会社は具体的な戦略として「収益力の強化」を掲げました。

日本生命保険相互会社における主な販売経路は営業職員ですが、顧客ニーズの変化に伴い、保険加入=営業職員という方式が崩れつつあります。今後はニッセイ・ライフプラザや代理店などへ出向くお客様向けの販売手法に加え、別の販売経路を獲得しさらなる事業展開をしていくべく、日々進化しているのです。

日本生命保険相互会社の基本情報は、役立つ口コミ画像が多数掲載されている以下のサイトが参考になります。

【保険の玉手箱】
https://www.homemate-research-insurer.com/bc72/cid7200000013/

また、日本生命保険相互会社の新着情報については、公式サイトをご参照下さい。

【日本生命保険相互会社】
https://www.nissay.co.jp/

※この記事は、2020年(令和2年)9月時点の情報に基づいて作成されています。

※当サイトは原則「リンクフリー」といたしております。

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